
人生三部作!
都内でも屈指の人気沿線であるJR中央線の阿佐ヶ谷駅。東京で2番目に古いと言われている北口アーケード商店街。歴史の深そうな文具店や書店の間を抜けて程よく歩くと閑静な住宅街になる。さすが杉並と感心していると目の前に「まちサロン おきやんち」が現れる。誰もが安心して集える多世代交流と地域活動の場として2022年に開設された。その「おきやんち」の設立者であり代表理事でもあるのがインタビュー当時92歳の味香興郎(あじか・おきお)さんだ。
昭和7(1932)年に三重県で生まれて太平洋戦争を経験し、戦後の経済成長を担ってきた企業戦士は、自身第三の人生と謳う90歳にしてクラウドファンディングに挑戦し、まちサロンの運営を始めた。
8年も前だし期待に応えられるかどうか、なにしろ内容がない事件でしたから。
泳ぎ続けることで息をするマグロに自身を例えた第一の人生、その途中で獲得した中小企業診断士の資格を活かし企業コンサルタントとして地域のために奔走した65歳からの第二の人生、事業に失敗して破産寸前の企業をいくつも救ってきた「中小企業の赤ひげ」と自称する味香さんが恐縮そうにそう言う。
単純に、昭和1ケタという戦前生まれの方が、90歳からの人生を第三部として今こうして謳歌していることが実に興味深い。そんな側面を踏まえながらも「中身が薄い」と言う裁判員経験を聴いてみたい。
気骨の人
裁判員制度が施行された時、味香さんはその前年に発生したいわゆるリーマンショック(2008年)によって苦境に陥った企業を救うため再生支援協議会に関与してその才を発揮していた。
(裁判員制度は)いい制度ではないか。裁判官だけでなく民間の考え方を反映していくのは良いこと。
そう前向きに捉えていたそうだ。「司法制度には以前から関心をもっていた」と言う。では、司法との関わりは? との問いに、これまでの仕事(資格)柄、民事系はあるだろうと予想していたが、その答えは想像とは別方向に大きく超えてきた。
社長だったとき(第一の人生)に不良債権がたくさんあって、それらを回収するために民事訴訟を起こしました。最後は、裁判長から和解を提起されてシャンシャンと終わったわけです。当時は、会社の社長として夜討ち朝駆けして何十億と回収しましたよ。
ご本人の名誉のために言っておくが、「夜討ち朝駆け」して取り立てていたのは1982年より前の話で、現在は1983年に制定された貸金業法やサービサー法により、債権回収行為が可能な時間帯は朝8時から夜9時までとなっている。
やはり私と一緒で業務上、民事裁判への関わりはあったか、などと思っていたら、「それからね」と続いた?!
ある罪で刑事告訴されたことがあってね。検事が取調べのときに机をバンって叩いてね。検事って本当にこんなことするんだって、その時は思いました。でも、悪いのは明らかに向こうだから何を言っているんだって思っていましたよ。
ご自宅購入時に、不実の告知をした不動産屋とのトラブルが発展して相手側から告訴されたとのことだ。当時は、まだ消費者契約法がなかった時代。情報弱者といわれる一般消費者とプロである不動産業者との不均衡は理不尽なものだった。いち不動産屋として肝に銘じるべき出来事だ。
結局、その時は不起訴という形で事なきを得たそうだ。それにしても検察官の取調べを受けたことがあるなんて、それも机を叩くような威圧的な取調べを……さすがにめったに聞かない体験だ、と驚いていると、「あとね」……まだあった!?
中小企業診断士会の業務で慣習的に行われていたことが労働基準法違反だと告訴されて、当時の理事長と前任である僕が警察署から(任意で)出頭を求められて行ってみたら、写真は撮られるわ唾液は採られるわで、10時頃から18時くらいまでずっと取調べを受けて……なんでこんなことするのかって聞いてみたら、「お前は被疑者だ! 告訴されているんだから取調べするのは当たり前だよ!!」って怒鳴られたの。
ドラマでもなかなか見ない展開に唖然とした。警察による被疑者=犯人という前提での取調べは、警察有史以来から現在に至るまで根強く染みついた悪弊だろう。味香さんの2度にわたる不条理な取調べ体験は、こうやって冤罪が生まれるというお手本とも呼べる光景だ。
おかしいのは警察だ! と言って頑張っていたら帰してもらえたよ。まあこの2つの出来事で、警察(捜査機関)なんてたいしたことないって学んだよ(笑)。
普通なら笑いごとにはならない。だが、味香さんは何でもないと言って笑い飛ばす。人生経験の豊かさが育んだ気骨をもって臨んだ裁判員裁判はどうだったのだろう。あらためて時系列で進める。

断るなんてとんでもない──選任手続
裁判員になる前の段階である候補者登録通知や選任手続期日のお知らせ(呼出状)を受け取った際、素直に喜んだそうだ。年齢(70歳以上)を理由に断ることができることも通知の中身を読んで理解されたそうだ。
もともとやってみたかったし、断るだなんてとんでもない。これはいい経験ができるぞ! 当時は体力的な不安なんか全然なかったよ。90超えた今はちょっとね……。
そう苦笑いするが、当時のご年齢は84歳だ。高齢者施設で暮らす今の私の父よりも上だ。父が裁判所に通って人の人生を判断するなんて無理だ。ご家族にはなんと伝えたのだろうか。
昔から子どもの授業参観にも行ったことがないくらいで、家のことは全部妻に任せっきりだったし、土曜日に寝るために帰宅して、月曜日の朝6時に飛び出していく生活が当たり前だったので、自分の行動予定をいちいち報告する習慣がない家だった。だから何も言わずに裁判所へ行ったよ。
まさに「24時間戦えますか!」を地で行く昭和の企業戦士。賛否はあろうが戦後からの復興のため、世界を相手に24時間戦ってきた先人たちがいたから、日本が経済大国に名を連ねることができたことは間違いない。
そして、遠い記憶といえる民事訴訟の際に訪れた裁判所を再び訪れた。
このご時世、セキュリティ(荷物検査や金属探知)は当然でしょうね。候補者控室には40人くらい来ていたかな。ちゃんと一人ひとり面接を行った。たしか、これまでどういう仕事をしてきたとかの経歴を説明したと思います。(裁判員に)なりたいと思っているから、マイナスになるようなことは言っていない(笑)。
いろんな会社をやっていると、刃傷沙汰もあれば不倫の問題もあり、職場内トラブルが絶えなかった。そういうのをたくさん見てきているから、実際の裁判ではどう判断されるのだろうと思っていたな。
裁判員になりたい理由に純も不純もない。好奇心でも正義感でも、ただ義務だからという理由でもいい。やりたくてもなれない人や、やりたくなくても選ばれてしまう人もいる。どうやら味香さんはやりたくてなったという稀有な人のようだ。強いて言えば、正裁判員ではなく、補充裁判員として選ばれたという誤差の範囲だ。
年齢的にいって補充だったのかな、と思いました。でも、もう一人の補充の方は若かったし……とにかく振るい落とされなかったな、と嬉しかったです。
くじ運? 宝くじは当たったことないけど、商店街の福引でオーストラリア旅行へ行かせてもらったよ。
正直に言う。裁判員に選ばれるよりもオーストラリア旅行に当たるほうが遥かにいい! どちらかを選ぶとしたら、絶対にオーストラリアだ。それでも、味香さんにとってはやりたくてなった裁判員、単純に嬉しかったそうだ。かくして男性3名、女性3名、補充2名に裁判官3名を加えた合議体が出来上がった。裁判員の年齢層も働き盛りからリタイアされている方までバランスのとれたグループだ。
ちなみに、年齢が理由で補充裁判員になることはない。ただ選定された順番なだけだ。
(2025年02月14日公開)