1 袴田さんの再審無罪判決確定から2週間後の再審開始決定
検察官の上訴権放棄により袴田さんの再審無罪判決が確定した10月9日から、ちょうど2週間後の10月23日、福井女子中学生殺人事件(以下、「福井事件」と言います)第2次再審請求審を審理していた名古屋高裁金沢支部(山田耕司裁判長)が、再審請求人の前川彰司さんに対し裁判のやり直しを認めるとする、再審開始決定(LEX/DB25621140)を出しました。
高裁のした再審開始決定に検察官が行う不服申立ては「即時抗告に代わる異議申立て」となりますが(刑訴法428条2項)、異議申立て期限である10月28日の16時30分ごろ、名古屋高検がマスコミに対して異議申立てを行わない旨を発表し(ただし弁護団には直接伝えられませんでした)、前川さんの再審開始が確定しました。
これで前川さんが再審無罪となる公算が高まったことは、本当に喜ばしいことです。しかし、この事件もほかの多くの再審事件同様、ここに至るまでに長い長い艱難辛苦の歴史がありました。そして、その原因は、やはり再審法の不備によるところが多いのです。以下、福井事件が示した再審法改正の必要性について解説します。
2 検察官上訴に翻弄された福井事件
福井事件は、1986年3月19日、中学の卒業式を終えたばかりの15歳の少女が、市営団地内の自室で留守番中、何者かに惨殺されたという殺人事件です。
警察がなかなか犯人を絞り切れなかったことで、地元紙に捜査批判の記事が掲載されたころ、別事件で勾留中の元暴力団員Aが、前川さんが犯人である旨の供述を始め、Aが名前を挙げた未成年者を含む5人の若者も加わって「血の付いた前川さんをBがスカイラインに乗せて移動した後、Aに匿われた」「前川さんが『いさかいになって殺した』と告白するのを聞いた」などと供述するに至りました(以下、Aと5人の若者たちを「主要関係者」と言います)。
しかし、主要関係者の供述に変遷や食い違いがあったのみならず、前川さんの犯行を裏付ける物証は皆無であり、しかも前川さんは一貫して犯行を否認し、「Aと友達の作り話だ」と訴えていました。
このような脆弱な証拠構造の事件であったことから、1990年9月、一審の福井地裁は「被告人が犯人であることを強く推測させる関係人の供述には信用性に重大な疑問がある」などとして、前川さんに無罪判決を言い渡しました1)。しかし、この判決に検察官が控訴したところ、控訴審の名古屋高裁金沢支部は1995年2月、主要関係者の供述が「大筋で一致」していることなどを理由に、「本件殺人が被告人の犯行であることに合理的な疑いを入れる余地はない」と断じて前川さんに懲役7年(心神耗弱による酌量減軽)の有罪判決を言い渡し2)、1997年11月、最高裁が上告を棄却、有罪判決が確定しました。
前川さんは満期服役後の2004年7月、確定審裁判所である名古屋高裁金沢支部に第1次再審を申し立てました。2011年11月、同支部は「新旧全証拠を総合すると、請求人と犯人とを結び付ける根拠となる客観的事実は一切存在しないということになる結果、確定判決の請求人が犯人であるとの認定には至らない蓋然性が高度に認められる」として再審開始を決定しました。しかし、検察官が異議申立てを行い、2013年3月6日、異議審の名古屋高裁(本庁)は一転、請求人が提出した新証拠は「いずれも旧証拠の証明力を何ら減殺するものではないから、その余の点について論じるまでもなく証拠の明白性が認められない」として再審開始を取り消しました。
筆者は大崎事件の弁護人ですが、実は同じ日に、大崎事件では第2次再審請求審(鹿児島地裁)で再審請求を棄却する決定がされたので、よく覚えています。大崎事件の方は第2次請求審の裁判長が、証拠開示に向けた訴訟指揮も、鑑定人の尋問も行わないまま審理を終結していたので、弁護団は再審開始が出るとはまったく期待していませんでした(このときに筆者は、裁判体の違いで再審の審理が大きく異なることについて「再審格差」という言葉を作りました)。しかし、福井事件は、すでに原審で再審開始決定が出ていましたから、前川さんはもちろん、弁護団も支援者たちも当然再審開始が維持されると思っていたはずで、それが取り消された衝撃はいかほどだったか、と想像します(大崎事件も再審開始の取消しを2度も経験していますから、自分たちの第2次請求審の棄却以上に、福井事件の再審開始の取消しは衝撃でした)。
今回の再審開始決定の確定は、一審の無罪判決から34年後、第1次再審の開始決定からも13年後になります。検察官の控訴や異議申立てが前川さんの雪冤までの道のりを、いたずらに長く険しいものとしたことは、もはや誰の目にも明らかです。
3 第1次再審、第2次再審における証拠開示
それだけではありません。第1次再審が棄却で終わると、第1次再審で請求人が提出した新証拠は、第2次再審では新証拠としては使えません。「新証拠」(「あらたに発見したとき」)とは、簡単に言うと「裁判所にとって初めて目にする証拠かどうか」という意味だからです。
つまり、第2次再審請求を行うためには、請求人・弁護人の側が「新証拠」(鑑定や再現実験など)をまた一から作成し、これを携えて裁判所の門を叩かなければなりません。多くの再審事件では、このため「新たな証拠」作りに時間を要し、なかなか第2次再審をスタートできないという事情もあります(第1次再審の終結から第2次再審の申立てまでに、布川事件は9年、大崎事件では4年半を要しています)。福井事件でも、第1次再審の終結から、第2次再審の申立て(2022年10月)まで、8年の歳月が流れました。
ところが、実は今回の福井事件の再審開始決定で「明白な新証拠」と認められたのは、すべて第2次再審段階で初めて開示された「古い新証拠」でした。開示証拠だけで十分確定判決に合理的疑いを抱かせることに成功しているから、「弁護人らが提出した心理学者作成の鑑定書や、ルミノール反応の陰性化に関する実験結果(中略)を始めとする他の新証拠を更に検討するまでもなく」再審を開始することにした、と結論づけているのです。
福井事件では、第1次再審の段階でも、弁護団の粘り強い証拠開示請求により、裁判所は2007年にまず物証の証拠開示勧告を行い、2009年には主要関係者の供述証拠の開示勧告も行った結果、合計で95点の証拠開示が実現していました。
しかし、第2次再審になって、弁護団がさらに証拠開示請求を行ったところ、当初検察官は開示に消極的でしたが、裁判所の強力な訴訟指揮が功を奏し、何と新たに287点もの証拠が開示されたのです。
では、今回初めて開示されたいくつかの証拠が、再審開始決定を導く「明白な新証拠」と認められ、しかも検察官も不服申立てを断念して再審開始が確定した、ということは何を意味するのでしょうか。
もし、これらの証拠が第1次再審の中で開示されていたら、この事件は2011年の再審開始のときに確定していたかもしれない、ということです。証拠開示の手続を定めたルールが存在しないために、重要な証拠の存在が一度に明らかにならず、五月雨式に開示されたことによって、第1次の再審開始取消し、そして第2次再審申立てまでの8年という長すぎる空白を招いたのではないでしょうか。
4 いっそう鮮明になった再審法改正の必要性
今回の再審開始決定に大きな影響を与えたのは、主要関係者が、犯行当日に前川さんを迎えに行ったという供述の裏付けとなった、「当夜放送された歌番組の場面」が、その後の捜査によって、別の日に放映されていたことが判明したという内容の捜査報告書が開示されたことでした。
確定審(控訴審)の検察官は、この事実を把握しながら、上記捜査報告書を隠し、当該番組が犯行当日に放映されたという主張を維持して控訴審で逆転有罪判決を得たのでした。今回の再審開始決定は、この検察官を「確定審検察官の訴訟活動は、公益を代表する検察官としてあるまじき、不誠実で罪深い不正の所為であるといわざるを得ず、適正手続確保の観点からして、到底容認することはできない」と、口を極めて厳しく批判しました。
でも、このような「不誠実で罪深い」違法捜査も、証拠開示が実現しなければ判明しなかったでしょう。袴田事件の「5点の衣類」のカラー写真と同じです。
袴田さんの再審無罪に続く、福井事件の再審開始確定は、再審法改正の必要性をよりいっそう鮮明にしたのです。
【関連記事:連載「再審法改正へGO!」】
・第16回 袴田さんの再審無罪判決が改めて示した再審法改正の必要性
・第15回 知られざる再審請求審の手続の実態 その2
・第14回 知られざる再審請求審の手続の実態 その1
注/用語解説 [ + ]
(2024年11月28日公開)