袴田再審の無罪判決は、確定審で死刑判決の根拠となった自白や5点の衣類などの証拠を警察・検察によるねつ造と認めた画期的なもの。しかし、自白に関する鑑定やDNA鑑定については、その証拠としての価値を認めなかった。本リレー連載では、無罪判決を刑事法研究者などに検討いただく。(編集部)
1 はじめに
2024年10月8日、静岡地裁が9月26日に言い渡した袴田巖氏に対する再審無罪判決について検察庁は検事総長談話のリリースという極めて異例のかたちで控訴断念を表明した。これで袴田氏に対する刑事裁判は終わった。
周知のように、今回の無罪判決は自白・5点の衣類・共布(ともぬの)に関して警察と検察が連携してねつ造したという事実を情況証拠から認定した。違法捜査について刑事・民事双方でこれを認めた判断は少なくないが、情況証拠から核心的な証拠すべてにねつ造を認定した今回の判決もまた異例といえるだろう。
本稿は、無罪を導いた判決の論理構成に立ち入ることを目的とせず、そうではなく、同地裁無罪判決の中で明確に言及されたねつ造に関わり、その捜査をおこなった静岡県警の捜査手法について歴史的観点から掘り下げようとする。
2 再審無罪判決と自白の「ねつ造」問題
今回、静岡地裁は被告人の犯人性推認にかかる証拠価値のある証拠3点にいずれも「ねつ造」があると認定し、これらを証拠から排除すると被告人を有罪とすることができない、という論理構成を採った。いわば証拠排除型無罪判決である。大方の予想である信用性否定型無罪、あるいは合理的疑い型無罪のスタイルを採らなかった。
この3点の「ねつ造」のうち、自白を記録した1通の検察官調書が確定判決で証拠採用されていたところ、この調書について今回の無罪判決が「黙秘権を実質的に侵害し、虚偽自白を誘発するおそれの極めて高い状況下で、捜査機関の連携により、肉体的・精神的苦痛を与えて供述を強制する非人道的な取調べによって獲得され、犯行着衣等に関する虚偽の内容も含むものであるから、実質的にねつ造されたものと認められ」るとして、刑訴法319条1項の「任意になされたものでない疑(い)のある自白にあたる」(「い」を加筆:筆者注)とした点を本稿では考究したい。
かかる認定に先立つ事実関係は以下のとおりであった。
① 出頭から自白前日まで19日間、1日平均12時間の長時間取調べが実施された
② 犯行を否認する被告人に対して被害者らの写真を示し執拗に謝罪を求めた
③ 自白しないなら長期の勾留があると心理的に追い詰めた
④ 尿意を催した被告人に対して取調室内に便器を持ち込んで排尿を促すなど屈辱的で非人道的な対応を行った
⑤ 接見禁止を伴う勾留がされ、弁護人との接見は合計3回、合計40分にとどまり接見内容が全て録音されていた
というものである。①は取調べをめぐる外形的事情であり、②、③、④は取調べ方法の違法性を推認させる事情である。⑤は弁護権が侵害され秘密交通権が保障されていないことを明らかにする事情である。以上を総合したうえで、判決は反復自白である検察官に対する供述の任意性を否定した。その判断の前提となる事実関係は以下のとおり認定されている。
❶ 検察官は逮捕翌々日から自白にいたるまで警察官と入れ代わり立ち代わり取り調べた
❷ 客観的状況に反する虚偽の事実を交えて取り調べた
❸ 被告人を犯人と決めつける追及的な取調べを繰り返しおこなった
❹ 自白後も検察庁で取り調べずに警察で疲弊した被告人の取調べをおこなった
というものである。❷❸は取調べ方法の不適切さを示す要素であり、❶❹からは「特に、警察官による取調べとの密接な連携」が認められ、警察官取調べと検察官調書とのあいだの因果関係の根拠とされて、当該検察官調書を排除している。
その後、無罪判決は5点の衣類と共布の証拠排除へと進むが、ここではこの問題には立ち入らず、もっぱら静岡県警が袴田巖氏の逮捕、取調べの以前から身体的拷問を含む「非人道的」な取調べを繰り返してきた歴史を紹介し、本判決がこうした暗い歴史に終止符を打つべくあえて検察官調書の排除判断に至ったと主張したい。
(2024年11月22日公開)