事件の風土記《10》

冤罪に翻弄された少年たち

毛利甚八


  • 大阪高裁・地裁の入った重厚な庁舎。地裁のトップが被害者となった事件を裁くため、裁判官たちも緊張していたという。

 2004年2月16日午後8時半頃、大阪市住吉区の住宅街を男性が歩いていた。南港通と呼ばれる幹線道路の裏手、大きな集合住宅に面した静かな坂道である。男性は4人の男に襲われた。背後からタックルを受け転倒した男性は「金出せや」「殺すぞ」などと脅され、現金6万3千円を奪われる。

 犯罪の形としては、当時流行っていた「オヤジ狩り」のひとつである。ところが、こともあろうに被害者は大阪地方裁判所の所長(当時61歳)だった。しかも腰骨を折り入院51日、通院3カ月程度という重傷である。

 大阪府警があわてたのは当然だった。司法行政にかかわる警察・検察・裁判所という組織の、そのトップが被害者に。並び立つ組織の間柄であるだけに警察の面目は丸潰れである。

 所長の記憶では、加害者は「年齢16歳から17歳くらいの高校生風の少年4人」であった。事件の起きる前に、現場周辺でよく似た犯人像の3つの恐喝未遂が起こっていたという。

 ところが事件から2カ月が過ぎても、警察は犯人をみつけられない。ここに「事件が世間の注目を浴びているのに、犯人逮捕の見通しが立たない」という、冤罪発生の典型的な舞台が生まれる。

 警察は周辺の非行少年を洗い出していく。キーワードは所長と類似の恐喝未遂事件の被害者が見たという「赤いジャンパー」だった。最終的に警察と検察が犯人としたのは5人。3人の少年と2人の成人男性である。

  A少年。当時13歳。
 B少年。当時14歳。
 C少年。当時16歳(BとCは兄弟)。
 岡本太志さん。当時26歳。
 藤本敦史さん。当時29歳。

 はじめに警察が目をつけたのは実行犯とされるA少年で、その端緒は襲撃事件より4カ月前の万引き事件だった。しかもA少年でなく、別の少年を補導したものである。警察は補導記録をもとに怪しい少年を探そうとしたのだ。

 あらためて少年を聴取した警察は、万引きの事情聴取を受けた少年が「警察にチクッた」と仲間に責められたトラブルを「恐喝未遂」に見立て、被害届を出させる。さらに少年から、A少年が赤いジャンパーを持っているとの言質をとった。

 ここからがややこしい。事件発生から3カ月後の5月下旬までに逮捕・勾留されたのはA少年・C少年に別の2人を加えた4人だった。警察は彼らを犯人として強引な捜査を進めるがドンデン返しが起こる。勾留期限が終わろうとする頃、「別の2人」のアリバイが判明するのだ。もともと別件逮捕で仕立て上げた犯人である。以後、警察は辻褄合わせに大汗をかくことになる。紆余曲折の末に、警察が帳尻を合わせたのが、前述の5人であった。

 成人の2人は元仕事仲間。 A少年が岡本さんを慕っており、食事をしたり、岡本さんの家に泊まったりする仲だったために疑われたのである。

 警察に閉じ込められ、自白以外は許されない状況になったとき、少年はその場から逃げ出すために迎合して嘘をつくことになる。ましてや、怒声、机を叩く、首を絞めるなどの圧力が加わればなおさらである。少年は警察を納得させるために、思いつく限りの嘘を言い、それを警察が都合よく整理していく。そのようななかで、被害者の証言とは似ても似つかぬ身長183cm、体重80数kgという大男の藤本さんが「高校生風の少年4人」に加わることになった。目撃証言は「4人」だから1人余ってしまう。そこで岡本さんが犯罪を計画し、物影に潜んで指揮したという筋書きも生まれた。

  A少年は児童相談所に通告(2004年4月28日)され、翌年の春まで児童自立支援施設に収容。

 B少年とC少年は家裁送致(2004年6月)。

 成人2人は強盗致傷で起訴された(2004年7月5日)。この事件が幸いだったのは当番弁護士制度が根づいていたことだ。

 約8カ月の身体拘束を受けた岡本太志さんは言う。「警察に逮捕された翌日に戸谷茂樹弁護士が接見に来てくれました。警察に怒鳴られたり、首を絞められたりして、悔しいと言うと。戸谷さんは『やられたらやりかえせ』と言いました。『ほんまにやっていいんですか?』と聞くと、『大丈夫。相手が机を叩いたら、君も叩けばいい。ただし、先に手を出したらあかんよ』と。それを聞いて、とても楽になりました」

 戸谷弁護士は接見に通い、岡本さんは孤独を紛らわすために大量の手紙を戸谷弁護士宛てに書くことになる。そうした支援が虚偽自白を防いだ。

 B少年を担当した前川直輝弁護士(54期)は、当時弁護士3年目であった。

 「この事件はボス弁の代わりに当番に行ったのがきっかけです。ボスはくじ運がいいのか悪いのか、当時、重罪の事件を引き当てていました。今回の当番出動でも、この異様な事件に当たってしまった。少年法が改正されたばかりで、検察官立ち会いなどいろいろ新しい運用がされていたので勉強になりましたが、重い事件でした。寝つきがいいほうなんですが、B少年の審判の前日にはうなされるほど悩みました」(前川弁護士)

 少年事件と成人の刑事事件が並行して審理されたため、大阪家裁の裁判官たちの迷走ぶりは凄まじかった。C少年は自白したため早々に少年院送致となり、否認するB少年に対する心証開示では有罪を示した裁判官だったが、審判の3日前に成人事件について、大阪地裁で無罪判決が出た。

 成人2人の一貫した否認。証人として出廷した地裁所長が巨漢の藤本さんを見て「大きいなぁ」と驚いたこと。ガールフレンドの携帯電話に残されたメール履歴から実行犯とされるA少年のアリバイが法廷で明らかになったことが決め手となり、検察のストーリーが崩壊したのだ。

 「心証開示で非行事実ありとした以上、家裁の裁判官は少年院送致にするしかなかったんですね。そこでダメ元で執行停止を申請したら、その日のうちに認められた。驚きました」(前川弁護士)

 少年院送致を宣告され号泣したB少年は、鑑別所で少年院に行く用意をしているところを解放された。B少年担当の裁判官は、少年院送致にしたものの、自分の審判が間違いであることに忸怩たる思いを味わっていたのだろう。そこで弁護士の執行停止申請に飛びついたのだ。

 しかし、B少年は「有罪の無罪」という宙ぶらりんの立場のまま、最高裁の不処分確定まで4年あまりの不安定な思春期を過ごしている。また、A少年は児童自立支援施設、C少年は少年院といわば「実刑」を受けた。

 岡本さんと藤本さんが無罪となった一方で、少年たちが粗雑な事実認定の犠牲となったのは、捜査段階で弁護人がつかなかったことが一因であった。

 5人の無罪は確定したものの、現在、国家賠償をめぐって第二審が係属中だ。被害者は裁判官で、裁判を誤ったのも裁判官という状況のなか、裁判官が国(検察)、大阪府(警察)、大阪市(児童相談所)の過失責任を判断する。

 裁判官は5人の冤罪被害者に彼らが失ったものを返せるであろうか。

(季刊刑事弁護67号〔2011年7月刊行〕収録)

(2024年08月07日公開)


こちらの記事もおすすめ