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「私こそ、大韓民国の検事だ」

内部告発の決心と苦闘

林恩貞(イム・ウンジョン)

「私こそ、大韓民国の検事だ」

大韓民国の検事である林恩貞(イム・ウンジョン)さんは、2022年に、『続けていきたいと思います──内部告発検事、10年の記録と決心』を、韓国で出版した。本書は、検察上層部の方針に反対して、検事としての「正義」を貫き、それによってさまざまな不利益を被った林さんが、それを跳ね返してきた著者自身の記録です。韓国では、10万部以上売れ、ベストセラーとなった。本書は、現代人文社より2024年翻訳出版される予定である。それに先立って、著者より「刑事弁護オアシス」に特別寄稿をいただいたので、邦訳して掲載する(刑事弁護オアシス編集部)。(写真:『続けていきたいと思います──内部告発検事、10年の記録と決心』を持つ著者、林恩貞氏提供)

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 私は、1998年司法試験に合格して2001年に検事に任官して以来、現在まで大韓民国で検事1)をしています。大韓民国では検事の総数が2,100人を超え、そのうち女性が700人を超えており、「女性検事」という呼び名にもはや希少性はありませんが、10年以上内部告発の先頭に立つ検事は私の他にいません。いろいろな困難がありましたが、私の小さな声に耳を傾ける人が増え、隣国にまで私の声が届くようになりました。

 国と文化は違いますが、承認欲求や功名心、出世への欲望という恐ろしい人間の本性がある一方、良心や勇気など人間の尊厳を求める心は変わらないものがあるでしょう。このため、表向きには法と正義を掲げながらも組織原理が優先される検察内で認められたいという気持ちは私自身にもあり、普通であれば動揺して躊躇する一方でした。しかし、良心に後押しされて、組織と真正面から対立した私の検察内部での奮闘を、私と似たような悩みを抱えている人々に紹介したいと思います。誰にでも、決断の瞬間が訪れるものですから。

1 検察の門を叩く

 貧しい家庭の事情で幼い時に学業を断念せざるを得なかった両親の恨(ハン)2)を聞いて育ったおかげで、両親が育んでくれた夢を抱いて大学に進学し、司法試験受験の準備をして、さほど遅すぎることなく検事に任官しました。振り返ってみると、それまでは順調な人生でした。教科書で学んだとおりに正解を選べば、正解として認められるような世の中でしたから。これからも頑張れば検察内部で認められ、国民からも称賛される、平穏で成功した人生を期待しました。しかし、予想とは裏腹に、そこには全く異なる世界が広がっていました。

2 「検事」としての自覚

 2000年の検事実務修習時代、変死体の解剖に立ち会って気絶するなど、検死業務に苦労しました。その頃、『きらきらひかる』3)という日本の漫画に偶然出会いました。検視官として死者の言葉を聞いて恨みを晴らす主人公・ひかるの活躍ぶりを読みながら、自分の仕事の意義とその重さを遅ればせながら悟りました。傷つき腐敗した遺体に目を覆いたくなりましたが、死者と対話する気持ちで遺体に接し、そこに残された傷から犯人の手がかりを探ることになりました。ひかるがそうであったように、死者の声を心の中で聞いて遺族の反対にもかかわらず解剖を強行し、他殺を確認するなど怨魂を慰めたりもし、捜査と裁判を通じて被害者と遺族らの無念を晴らしました。このようにして、検事として成長していきました。

3 「検事」としてどう生きるのか?

 「正義を貫かなくてはいけない事件」で、溢れるやりがいや望外の喜びを感じたこともありました。しかし、検事が企業献金を受けたり、性売買などの接待を受ける文化が公然とあった時代だったので、混乱して困惑する瞬間が少なくありませんでした。検察が企業献金を受けるということは、企業側の不正を大目に見ることであり、正義を歪めるものです。

 検事に任官した2001年に、会食の席で部長検事にセクハラを受けました。一人を除くすべての先輩検事は見て見ぬふりをして沈黙し、残る一人は、私が部長にキスをしたと逆の証言をしました。私が告発するのを恐れたのか、私に罪を擦り付けたのです。私は、セクハラされた時もそのような証言を聞いた時も、どうすればいいのか分からず、繰り返し沈黙していました。見聞きした他の検事たちも、やはり沈黙しました。私のような新米検事の味方になれば不利益を被るのではないかと怖れたのでしょう。

 公然の不義に沈黙して傍観する私自身と先輩たち。検事である私は、どう生きるべきか悩みました。

 検事という仕事にやりがいがあっただけに、失望と混乱に耐えられませんでした。

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(2023年09月12日公開)


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