「人質司法」とは何か?
── まずは「人質司法」とヒューマン・ライツ・ウォッチの話からお伺いします。法曹の方であれば知らない人はいないと思いますが、一般の方にはおそらくピンとこないので、「人質司法とは何か」からお願いします。
土井 「人質司法」は決まった定義があるわけではないので、狭義の意味と、広義の意味があるのかなと思っています。ヒューマン・ライツ・ウォッチの日本の人質司法の報告書『日本の「人質司法」』は副題を「保釈の否定、自白の強要、不十分な弁護士アクセス」としてるんですけど、要するに身体の拘束が長引いたり、自白をいろんな形で強要されたり、弁護士のアクセスが充分ではなく、弁護人の立会いがないとか、黙秘権が事実上ないとか。そういった無実の推定が事実上ない日本の実務状況を、私たちとしては指しています。つまり広義の人質司法の意味で捉えて、報告書を出しました。
── 報告書は、A4判で80頁に及ぶものですが、調査はどのように行ったのですか。
土井 主に、来日したヒューマン・ライツ・ウォッチの調査員が、日本各地でインタビューを行いました。2020年1月から2023年2月にかけて、栃木県、東京都、愛知県、大阪府、愛媛県など8つの都道府県で、取調べや起訴を受けていたか、過去に受けたことのある30人に、対面またはオンラインでインタビューした結果です。その他、弁護士、研究者、ジャーナリスト、検察官、取調べや起訴を受けていた経験のある人の家族など26人にもインタビューを行いました。
── 報告書の中のケースをご紹介ください。
土井 2015年、N・カヨ氏は詐欺を共謀した容疑で逮捕されました。2008年2月から2011年10月まである会社で秘書として働いていたといいます。2008年12月、その会社の社長から、後任が見つかるまで上司が経営する別の会社の社長を一時的にやってほしいと頼まれたカヨ氏は、その会社に実態がないことや、その上司が過去にブラックリストに載っていて融資を受けられないことなどを知らなかったといいます。逮捕・勾留された後、裁判官は罪証隠滅のおそれがあるとして接見禁止命令を出しました。カヨ氏は1年間、弁護人以外の人と面会することができず、手紙も受け取ることができず、成人した2人の息子には裁判長の許可を得てしか手紙を書くことができなかったといいます。
N・カヨ氏はこう述べています。
東京拘置所に移動した後、2016年4月から2017年7月まで「鳥かご」(独居室)でした。とても寒くて、野原に布団を敷いて寝ているようでした。初めてしもやけになりました。声を出すのは1日2回、朝と夕方の点検の時に自分の番号を言うだけ。声が枯れて出なくなりそうでした。逮捕から1年後に接見禁止がとれました。でもその後も独居室のままだったとのことです。
N・カヨ氏は、自分がなぜ独居室に入れられていたのかわからないといいます。また、警察は息子たちにも自白を強要するような取調べをしたといいます。そして長い裁判の過程は、経済的困難を深刻化させました。
自白しないとなかなか保釈が出ず、長期にわたり身体拘束されることに加えて、家族等との接触の禁止までされ、カヨ氏はとてもつらい状況に追い込まれました。日本では、裁判所が「接見等禁止命令」を出すことができます。これもまた、被拘禁者に自白を促す圧力となっています。この命令は日常的に出されており、被拘禁者が接見等をできる相手は弁護人に限られてしまいます。家族を含む他の誰とも、会うことも、手紙をやりとりすることすら許されません。
インタビューに応じた多くの人が、拘禁中に大きな不安を抱く理由として、身体拘束に加え、家族との連絡の禁止も挙げていました。
── 「人質司法」が実際にあって「無罪の推定」がないというところに疑問をもたれる方もいると思うので、土井さんがご存じの話をいくつか話していただけませんか。
土井 そうですね。「人質司法」があって「無罪の推定」が日本にないと聞いたら、驚かれる方も多いのかもしれませんが、実際に本当の話ですね。どんな市民であろうとも、逮捕されて、もし「お前はこれやっただろう」と言われた──そして仮にやってなかったら「やってない」と言った瞬間から、基本的に例外なく人質司法の被害に遭うのが、今の日本の現状だと思います。
なんで、それが国民の常識になっていないのかを考えるんですけど、被害を受けた人が声高に「被害を受けた」ことを言わないし、言えないことが大きな理由ではないでしょうか。一回逮捕されてしまうと、「あの悪い奴」と社会では見られてしまうので。実際に無罪と主張しても有罪になる人がほとんどですし、そこで何か声を上げること自体がためらわれる。声を上げたことによって、社会から報復の恐れもあるし、すでに人質司法で大きな損害を被っているのにさらに痛手を負うことはやりたくないって考えるのはいたって合理的な判断だと思います。
こういった理由により、非常にありふれた被害であるにもかかわらず、国民の常識にまで至ってないのかなと思っています。なので、皆さん口が重く、話してくれる人は少ないんですが今回、ヒューマン・ライツ・ウォッチでは実際に体験した30人に会って詳細なインタビューを行いました。この内容と、専門家の意見や文献の内容などを合わせ、今の日本の捜査実務がどうなっているのかを明らかにしたのが、この報告書です。
30人の人たちの、実際の声をいろいろと散りばめているので、難しい読みものと言うよりは30人の経験がわかるようなリアルな読み物に仕上がっていると自負しています。
(2023年10月27日公開)