1 はじめに
私は、株式会社齋藤鑑識証明研究所の代表をしている齋藤健吾と申します。弊社は指紋鑑定・筆跡鑑定の技術を使って、皆様が抱えるトラブルを解決に導くことに努めております。
このような紹介をすると、必ず「警察の下請け会社ですか?」と質問されます。しかし、警察から依頼を受けたことは今まで1件もありません。主な依頼人は、弁護士・裁判所・法人・一般の方から直接ご依頼をいただいております。
「鑑識」と聞くと、始めに思い浮かべるのは「事件」「捜査」などであり、自分とは縁遠い非日常的なイメージを持っているかと思います。しかし、指紋・筆跡鑑定の技術は犯罪捜査だけでなく、皆様の身近に起こるトラブルを解決する力を持っています。
この連載では、それはどんな時に利用できるか? どんな資料があれば鑑定できるのか? などの疑問を事例に沿って紹介してまいります。そして、この連載が会社の人間関係や家庭内でトラブルがあったときに、早期解決のきっかけになれば大変嬉しく思います。
なお、ご依頼人のプライバシーを守るために、実際にあった事案をもとに作成したフィクションをご紹介します。
2 事案の発生
ご依頼をいただいたのは、30代会社勤務の女性です。ある日、会社から帰り郵便受けを確認すると、差出人不明の封書が入っていました。不審に思いながら中身を見たところ、A4判の用紙に「今すぐ仕事を辞めろ!」などと印刷された誹謗文書が入っていました。これを見た依頼人は、ひどくショックを受けて、しばらく頭が真っ白になってしまいましたが、次第に誹謗文書を出した人物を特定したいと思うようになりました。
誹謗文書の内容からして、以前から自分に対して厳しくあたってくる先輩社員ではないかと考えました。
3 会社の対応
依頼人は、翌日に会社の上司へ相談しました。上司はしっかりと話を聞いてくれましたが、「先輩社員が怪しくても証拠がないと問いただすことはできない」と言われてしまい、解決策が見いだせないまま相談は終わりました。
しかし、依頼人はどうしてもこのままにしたくないと考え、何とか証拠を示したいと思い、様々な方法を調べたところ当社のHPを発見して指紋鑑定で解決する方法を思いつき、依頼をしました。
4 指紋鑑定の準備
誹謗文書の差出人を指紋から特定するには、必要な資料と手順がありますが、その前に指紋について基本的なことをお伝えします。指紋で人物を特定するためには、1個の指紋だけでは役に立ちません。例えば、今回の案件では誹謗文書から指紋がとれただけでは差出人が特定できず、誹謗文書についた指紋と先輩社員の指紋を照合して、一致すれば先輩社員が誹謗文書を作成したと証明ができます。
このような場合は以下の手順で差出人を特定していきます。
① 誹謗文書から指紋を検出する。
② ①で確保した指紋が仮に10個だとすると、それらの指紋は依頼人の指紋+差出人の指紋と推定できます。次に、その内訳を確認するために、依頼人から10本の指紋を押捺してもらい、先ほどの指紋と照合し、依頼人の指紋を特定します。
この照合の結果、4個が依頼人の指紋だとすると、以下のような式が成り立ちます。
例)誹謗文書の指紋10個-依頼人の指紋4個=差出人の指紋6個
③ 次に、先輩社員の指紋を確保します。これは、大きく2つの方法があります。1つは事情を説明して紙に指紋を押捺してもらう方法です。この方法は本人の承諾を得ないとできないのですが、この事案では事情を説明しても指紋を提供してくれると思われないので、この方法は使えません。
2つ目の方法としては、先輩社員が触ったものを確保して指紋をとる方法です。この時に注意することは、先輩社員の私物を確保してしまうと窃盗になってしまうので、必ずこちらの所有物を触らせる機会を作りましょう。
④ ②の差出人指紋6個と③の先輩社員の指紋を照合して一致する指紋があれば、差出人を特定できます。
5 指紋鑑定の実施
これらの手順を依頼人に説明して、資料を確保して貰いました。先輩社員の指紋は、クリアファイルに入れた確認用の資料を渡して、チェックして貰った後に返却するという方法で確保したそうです。
早速、指紋を確保してから照合作業に入ります。指紋の照合はどのような方法で行っているかを解説します。
指紋は湾曲線が何本も列になっているのは誰でもご存じかと思います。実はこの線は、単純に1本の線が渦巻きとなっているのではなく、線が途切れたり、2本の線が1本に合流したり、1本の線が2本に分かれたりしています。このような箇所を「特徴点」と読んでいます。
特徴点の画像は以下のとおりです。
〇 開始点……指紋線が始まる箇所
〇 終始点……指紋線が終わる箇所
〇 接合点……2本の線が1本に合流する箇所
〇 分岐点……1本の線が2本に分かれる箇所
次に、同じ人の指紋であると、どのように決定しているかを解説します。指紋は必ず1:1の比較をして、同じ位置に同じ特徴点が存在しているかどうかで一致か不一致を判断しています。
そして、1箇所の特徴点が一致する確率が10分の1です。2箇所だと100分の1、3箇所だと1000分の1……となり、12箇所が一致する確率は1兆分の1です。1兆分の1は世界の人口(78億人)よりも少ない確率なので、異なる人物を偶然的に同じ指紋と判断する危険性がない確率となり、比較した2つの指紋は同じ指紋と見なされます。 12箇所の特徴点が一致している様子は以下のとおりです。
6 一致指紋の発見
このようにして、誹謗文書の指紋と先輩社員の指紋を比較すると特徴点が12箇所一致する指紋が発見できました。これで、先輩社員が誹謗文書を触っていることは証明できました。早速、依頼人に報告すると「これで解決できる」という思いで安心している様子でした。
依頼人は、我々が作成した鑑定をもとに再度、上司に相談しました。依頼人の熱意と証拠があることで上司も重く受け止めて、会社が指紋鑑定を実施したことにし、先輩社員と2人で話をすると言ってくれました。
話し合いの席で、上司が先輩社員に誹謗文書を作成したかどうかを問いただしたところ、すんなりと認めました。話し合いの結果、先輩社員は部署を移動することになったそうです。
【次回予告】「指紋は犯人特定だけじゃない」を予定しています。
(2023年08月30日公開)