マスメディアの実名報道と少年事件手続
全国5紙はいずれも、4月9日付朝刊で、甲府市内の夫婦殺人放火事件で起訴された19歳の少年を実名で報道したが、ブロック紙の東京新聞(中日新聞)は匿名とした。また、地元紙の山梨日日新聞は、実名報道に踏み切る前に編集局全記者で意見交換をしたことなど詳細な「見解」を公表している。これらの実名報道に対して、事前に実名報道をしないようマスメディアに申し入れていた少年の担当弁護人から「遺憾」の旨コメントがあった。
また、山梨県弁護士会会長は4月8日、報道関係者等に対して、「(国会の)附帯決議1)に示された懸念を真摯に受け止め、事案の内容と公共性を考慮し、推知報道を行うことが不可欠か否かという観点から、極めて慎重に判断されるよう要望する。また、事件の内容や少年の家族関係・経歴等の報道について、行き過ぎた社会的制裁となり、少年の更生の妨げとなることのないよう配慮を求める」声明を出した。
各紙は、記事と同時に「おことわり」を掲載して、その中で、実名にするかどうかは個別事件ごとに判断するとして、実名報道の理由をそれぞれ示した。以下に、5紙の「おことわり」の要点を紹介する(各紙の「おことわり」の全文は【新聞各社のおことわり一覧】参照)。
○朝日新聞「事件の重大性などを考慮し、起訴された少年を実名で報じます」。
○読売新聞「2人の命が失われた事件の重大性や社会的影響などを検討した」。
○毎日新聞「重大な被害をもたらした社会的関心の高い事例」。
○日本経済新聞「事件の結果の重大性や社会的影響などを総合的に検討した結果、今回は実名とします」。
○産経新聞「容疑者が犯行を認めていることや、3人が死傷した住宅が全焼するという悪質性、結果の重大性を考慮。少年法の精神である更生の可能性を鑑みても、実名報道が公共の利益にかない、国民の『知る権利』に応えるものと判断した」。実名ばかりでなく少年の顔写真も唯一掲載した。
○東京新聞(中日新聞)「二十歳未満については健全育成を目的とした少年法の理念を尊重し、死刑が確定した後も匿名」とこれまでの方針を維持。しかし、「社会への影響が特に重大な事案については、例外的に実名での報道を検討することとし、事件の重大性や社会的影響などを慎重に判断」すると含みを残している。
○山梨日日新聞 「犯罪の実相を伝え、事実の検証をするためにも実名報道は不可欠です。起訴された特定少年が公開の法廷で裁かれることからも、今回は実名報道が妥当との結論になりました。
一方、実名報道により少年の社会復帰が難しくなることは避けなければなりません。少年の立ち直りを考えつつ、国民の知る権利にどう応えていくか。今後も特定少年が起訴され、氏名が公表された場合は、事例ごとに実名で報道するのか、匿名にするのか慎重に判断していきます」。
山梨日日新聞社は、少年法施行前に編集局の全記者が意見交換し、また少年事件の被害者や専門家の見解を聞き、議論を深めたことを紙面で紹介している。どんな議論がなされたか興味深いところだが、結論はその他の社とほぼ同様である。
以上のように、実名報道するかどうかの判断にあたっては、「事件の重大性」「社会的影響」がキーワードである。これは、第1回で紹介した最高検の事件広報についての「事務連絡」においても、同様な記述が見られる。マスメディアはこの「事務連絡」に大きな影響を受けたと思われる。
少年法に詳しい武内謙治九州大学教授に、今回の甲府の殺人放火事件についての実名報道について聞いた。
——4月28日、大阪の寝屋川の強盗致死事件で2例目の実名報道がありました。マスメディアにおける実名報道の判断基準は、「事件の重大性」と「社会的関心の高さ」などですが、裁判がはじまってない起訴段階で、「事件の重大性」は誰がどう判断できるのでしょうか。
武内 少年事件は、特定少年による事件も含めて、すべて、いったんは家庭裁判所に送られます。事件が刑事裁判所で扱われる前の段階に家庭裁判所の判断があることになります。
したがって、起訴段階では、事件発生から一定の時間が経過していることにはなります。「事件の重大性」は、その間の、家庭裁判所の判断や、実体を伴うものかどうかは別としていわゆる「世間」の反応をみるということになるのでしょうか。
——「社会的関心の高さ」というのも、マスメディアや検察庁がそういえば、そうだということで、何ら基準になっているとは思えませんが、先生はどうお考えでしょうか。
武内 「社会的関心の高さ」というものを、何か実体のあるものとして客観的な基準とすることは、本質的に難しいと思います。これを基準とする場合、結局は、どこかで擬制を用いざるをえないことになるのではないでしょうか。
——「特定少年」の実名報道に関して、マスメディアに望むことはありますか。
武内 少年法68条は、行為時に特定少年である事件について公判請求がなされ場合に、推知報道禁止を定めた第61条の規定を適用しないとしているものであり、推知報道をしなければならないことを求めているわけではありません。
また、公判請求がなされる時点は、事件発生から一定の時間が経過しており、家庭裁判所の審判も終わっています。この時点での報道には、必然的に、相応の「濃度」と「深み」をもった高い質が求められることになるのではないでしょうか。この時点で実名を伝えることに力点を置くような報道は、「社会の公器」たるにふさわしいものではないでしょう。デジタル化した社会における犯罪報道のあり方についても、詰めた議論が必要になっているように感じます。
なお、少年法の推知報道禁止に関するマスメディア側からの論考に以下のものがある。
・佐々木央「推知報道禁止の一部解除をどう見るか──メディアは匿名報道維持を原則に」片山徒有編集代表『18・19歳非行少年は厳罰化で立ち直れるか』(現代人文社、2021年)86頁以下。
・川名壮志「報道現場のルールと異なる推知報道禁止の解除」季刊刑事弁護106号(2021年)61頁以下。
(完)
◎著者プロフィール
武内謙治(たけうち・けんじ)
1971年生まれ。九州大学大学院法学研究院教授。専攻:少年法学、刑事政策学、刑事法学。主な著作に、『刑事政策学』(日本評論社、20195年)、『少年法講義』 (日本評論社、2015年)、『少年事件の裁判員裁判』(現代人文社、2014年)などがある。
https://hyoka.ofc.kyushu-u.ac.jp/search/details/K000143/index.html
注/用語解説 [ + ]
(2022年09月02日公開)